結婚式は華燭の宴

義理の甥の結婚式が東京であったため、久しぶりに出席する機会を得ました。

妻の家族の繋がりですから、私はいわゆる妻のおつきの者としての招待ですが、華燭の宴に招待されたことは嬉しい限りです。

久しぶりに朝早く起きて、地下鉄に乗って新幹線のホームに立つのも数年ぶりでした。

名古屋の天気は、快晴、最低11度、最高20度、風速1.11m/s、湿度52%、雲一つない澄んだ青空が高層ビルの間、空高く突き抜けるように広がっていました。

予定通り、名古屋駅に着くと、ホームには旅装の人々が大きさが様々なトランクを転がして行き交っていました。

名古屋駅から、東京駅まで1時間40分、今や2時間掛かりません。

これが将来、リニア新幹線になったら、1時間掛からなくなるのでしょうか。

新幹線に乗って、シートに座ると、思わず笑みがこぼれます。

幾つになっても、旅に出るウキウキした気分は格別です。

とは言っても、流れる外の景色に倦むと、スマホを取り出し画面に見入ってしまったら、日常に引き戻されてしまいます。

シートの下の方にはコンセントが備わっていますから、スマホの電池切れも心配することもありません。

東京駅に着いたら山の手線に乗って、目的地の駅に着いたら式場のホテルまで、コンコースを歩いて、何番出口から出るのか、妻がメモに書いていました。

グーグルマップで確認すると用意に道順を辿ることができました。

東京駅に着くと、さすがに人の多いのに驚きます。

コンコースを歩いて、山手線に向かうと、丁度電車がやってきました。

もう50年以上も前にこの東京周辺で毎日を送っていた頃のことが、パラパラと思い出されます。

かつては馴染んだ駅の名前だったはずですが、車窓の光景になつかしいものがあろうはずがありません。

目的の駅へ妻と降り立つのも、不思議な感覚があります。

かつてその駅周辺を行ったり来たりしたはずですが、ホテルまで歩く路の光景は現在では全くの別世界です。

ホテルに着き、案内されて、更衣室で着替えました。

ロッカーに荷物を入れて、妻が用意した小さなバッグ一つを持って、妻とともに別館の式場へ移動しました。

最初に新郎新婦の親族紹介があり、3年前にあった妻の甥の結婚式と比べると、新郎の御爺さん世代が高齢のため出席がありません。

最長老が一世代抜け、新郎新婦の父母と叔父世代、つまりは私などが最年長の出席者であり、少子世代ですから親族の出席は少なくなっています。

その分、新郎新婦の友人や会社の関係の出席者が多く、神前結婚の式場でしたが、前の方に座った親族の後ろにぞろぞろと入ってきた若者達の賑やかしさに驚かされました。

パイプオルガンの音と、バイオリンの生演奏に導かれて厳かに進められる式も、新郎新婦の友人たちの若々しい声と歓声に包まれて、これはこれで世代変わりの明るさに包まれハッピーな空気に満ちていました。

披露宴も、昔のような堅苦しさは微塵も無く、新郎新婦を中心にしたパーティー、或いは演出されたパフォーマンスショーのような華やかさに包まれた雰囲気でした。

ざわざわとした話し声、幸せそうな笑い声の式場の隅に座り、ふと私より後にこの世に生まれ出た若々しい人達の宴が、まるでバニティーフェアーの幻影のように思えるのでした。

披露宴も式場の女性コンダクターに導かれて、滞りなく終わりました。

新郎新婦と両家のご両親に見送られて、式場を妻とともに後にしました。

帰る道すがら、妻と式の様子を反芻し語り合いながら、今しがたの披露宴の気にのまれた気分まま、その余韻を味わいながら、ゆっくりと駅まで歩きました。

一組のカップルの最も高揚した幸せセレモニーのひと時を共に過ごさせてもらい、まるで劇場から出てきたような気分でありました。

駅で、みどりの窓口に並びましたが、4人の老婆と中年女性の一団が長いこと窓口を占有していて、列が瞬く間に長くなりました。

ようやく巡ってきた、窓口の若い男性駅員に余裕のある時間で東京駅から新幹線に乗れるように切符を発行してもらいました。

しかし山手線で東京駅へ着いた時には、出発まで1時間も余裕がありすぎて、時間つぶしにコンコースの土産物屋を覗いたら、妻も歩き疲れてしまったようです。

15分前に予定の新幹線に乗った時にはほっとして、名古屋への帰路、宵闇の中を疾走する新幹線の中では、揺られながらもほとんど寝ていました。