狂乱物価高の元凶であるウクライナ侵攻はいつ終わるのか

2月27日、月曜日、眩しいほどに明るい日射しがリビングに入っています。

明日で、とうとう2月も終わりで、その翌日からは3月、春の訪れる待望の月です。

寒い季節から、暖かい春へ移る時期は、一年で最も嬉しい季節の変わり目です。

妻は食後、昨日買い足りなかったと言って、ウォーキングのついでにイオンへ出かけていきました。

この狂乱物価高は、ロシアのプーチンが失脚すれば、すぐにでも収束するような気もしますが、プーチンの支持基盤の老齢者層の生活が窮しない限り、ロシア国内に厭戦気運が中々高まらないように思われます。

ロシアで過去に起きた革命的変化は、ソ連崩壊のあった時期であったと思いますが、あの時の立役者はゴルバチョフでした。

ブレジネフ以降、相次ぐ長老の死去が続いた後に登場した当時54歳のゴルバチョフの進める民主解放の急進的な改革に対して保守派が起こしたクーデターは、エリツィンを支持してクレムリンになだれ込んだ民衆によって失敗します。

その背景には、当時の経済混乱による貧困や生活苦に喘ぐ民衆の不安、不満があったと言われます。

ロシアが、軍隊を撤退させた戦争は、アフガニスタンでしたが、いつ果てるともない長引くムジャーヒディーンとの泥沼状態の戦況と1万4000人以上もの戦死者を出して、その戦費によりロシア経済も弱体化し、10年後に政権がゴルバチョフに変わってから撤退したのでした。

現在のロシアによるウクライナ侵攻は、既にその時の戦死者を上回っているとされていますが、中国、インドによるロシア産石油やガスの購入がロシア経済を支え、それらの国からの物資の流入で、一般市民の生活はさほど変わっていないと言われます。

過去のロシアの変化をみると政権の交代が必須のように思われますが、そのようになる条件がまだ揃っていないようです。

ロシアは現在の占領地域の固定化を狙って、停戦をウクライナに呼びかけ、ウクライナは、できる限り奪還を図って、一進一退を繰り返す状況が続き、あるところで一時停戦を受け入れ、停戦交渉で延々と領土返還を主張し続けるようになるのかもしれません。

プーチンが何らかの原因で急死しない限り、ウクライナ侵攻は現在の状況からして、あと数年は続くのではないかという恐れがあります。

今日の名古屋は、晴れ、最低2度、最高14度、風速0.56m/s、湿度39%、気温が上昇して、リビングが18度を超えました。