耳の鼓膜手術を免れて安堵

4月28日、木曜日、4月も残り3日となりました。

空は曇ってはいますが、時々晴れ間の覘く日でした。

気温は、寒さ暑さも感じない快適な陽気で、風もほとんどありません。

今日は午前中、耳鼻科へ行き、午後から妻の実家へ車でお米を届けに行くことになっていました。

今日の名古屋の天気は、曇り、最低16度、最高23度、風速0.83m/s、湿度68%、次第に梅雨の訪れが近いことを予感させる日が続いています。

食後、耳鼻咽喉科へ、前回の来院から2週間が経ち再び訪れました。

待合室は、さほど混んでいる様子は無く、老人はテレビを見上げ、主婦や若い女性はひたすらスマホを覗き込んでいます。

共有映像情報であるテレビと、個人特化映像情報の行く末を象徴する光景です。

この先テレビは、ネットとの連携を深めない限り生き残れないのではないかと思えます。

テレビは、将来公の映像と個人の映像や情報が混淆して同時に流されるモニターとなるのでしょう。

廊下で、単行本を読みながら待っていると、名前が呼ばれ、今日は聴力検査から始まりました。

聞こえる間はボタンを押し続ける、昔ながらの検査機ですが、未だに最も確実な検査なのかもしれません。

結果は2週間前よりも若干良くなっていました。

医師は、測定のばらつき誤差もあるので、さして変わらない、悪くはなっていないと判断したようです。

鼓膜の状況は相変わらず凸凹状態で、前回のカメラ映像を示しながら、鼓膜の一部が石灰化してると説明してくれました。

石灰化している部分が、かろうじて裏のツチ骨の位置から逸れていて、良くはないものの現状を保っているが、更に石灰化部分が大きくなったら、いずれ手術をしなければいけなくなるという見解でした。

今回この2週間で聴力が急激に悪くなっているという状況ではないので、もう少し様子を診たほうがよいとのことでした。

前回、大学病院で手術をしなければいけなくなるかもしれないという説明で、今日大学病院への紹介の話がでるものと覚悟していたので、少しほっとした気分になりました。

元々リスクの高い手術ではありませんが、ゼロではないので、助かったという安堵感もあります。

耳に何らかの違和感や変化が生じたら、すぐに来院することと、少なくとも半年後から来年の花粉症の時期までには一度再検査のため来院するよう医師に言われました。

今日は、結局エヘン虫対策の、花粉症の薬2週間分をもらって耳鼻科を後にしました。

帰宅してから妻に説明すると、「とりあえず良かったね」ということですが、「来年には耳の手術をしないといけないかもしれないね」と納得するような口ぶりでした。

少ししてから、車に荷物を積む準備をして、それらを肩に担ぎ手でぶら下げて、駐車場へ降りていきました。

一旦、車で走り出すと、天気はうららかになり、次第に晴れてきました。

外気温度は24度を表示していましたが、エアコンを入れず、窓を少し開けて、外気を車内に通しながら走ると気持ちよく爽快な疾走感があります。

義父義母の住むマンションへ着くと、平日の昼下がりとあって、あまり人気のないひっそり閑とした静かさがあります。

車をいつもの場所へ停めると、1階の階段から白髪の老女が出てきて、体をすっく立ち上げ、足早にすたすたと歩き去っていきました。

階段を上がっていくと、玄関ドアの横にカメラ付きのインターフォンがあるところもあれば、マンションが建った当時のまま、白いボタン一つがあるだけのところもあり、それはそのまま過ぎた永い時間を想い起こさせる光景となっています。

義父は94歳、大きな声で話す様子は、まだまだボケることなく100歳目指して頑張る意欲を感じて、90歳を超えた義母とともに、妻には父母が元気に生きられるほどに、自分も元気に生きられるはずという心強さを感じさせてくれるようです。

今日は、前回修理できなかった、目覚まし時計の前カバーをドライバーを使って外し、外れた秒針を戻して、義父に喜んでもらえました。

ついでに、食器棚の扉のゆがみを力づくで手で持ち上げて直し、義母にも喜んでもらえました。

義父義母のマンションを後にしたのは数時間後で、5時頃になっていましたが、しばらく前の寒い時期、この時間夕暮れ時の薄暗さであった頃とは全く様変わりで、まだまだ昼頃の明るい陽気な日差しでした。

今夜の夕飯は、卵とじうどんと角切り肉と玉ねぎの醤油焼きで、やはりどんなに品数が多い幕の内弁当よりも、手づくりの料理は、感じられる温かさと美味しさが全く違います。

夕食後の後片付けの後、散歩から帰ってきて、風呂掃除をしました。

暖かくなって、温水を使わなくても、水の冷たさが全く感じられなくなり、掃除も楽になって、省エネでガス代の節約にも貢献しています。