ジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」は記憶のあいまいさ、改ざんされる人生について語っている

7時半にゴミを出しに行くと、青空の下、街路樹の歩道を、小さな子供たちが一塊になって列をつくりこちらへ近づき、坂を下っていきました。

しかし、静かに押し黙ったように7,8人の小さな小学生らしき子供たちが、通りすぎていく姿に違和感をおぼえました。

小学生頃の子供というのは、もっと賑やかなものではなかったかと、思わず振り返ってしまいました。

黒っぽいジャージーのような姿の、髪の長い女性が、急ぎ足で坂を下っていきました。

朝の7時半にジャージー姿の女性とは、一体どのような仕事をしているのか、ウォーキングをしているようには見えませんでした。

いつもの金曜日の朝ですが、少しだけ何かが違うような気がしました。

今日の名古屋の天気は、快晴、最低-1度、最高7度、風速0.83m/s、湿度58%、光り輝く天気は祝福されているようで、ただそれだけで嬉しいものです。

ジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」というブッカー賞受賞の小説を読みました。

長編小説ですが、184ページでさほど長いわけではありません。

リタイヤした60代半ばの男トニーが、過去を1人称で語りながら回想する物語です。

高校時代の3人の友人の話から、大学へ進学してからできたガールフレンドのベロニカのこと、その彼女と分かれた後、3人の内最も優秀で、ケンブリッジ大学へ進学した友人エイドリアンがベロニカと付き合い始めた話が語られていきます。

半年間、トニーがアメリカを放浪して、帰国すると、ベロニカの恋人となったエイドリアンが自殺したことを聞き驚きます。

そしてその後の40年間、トニーは結婚して、女の子が生まれ、妻とは離婚したものの、子供は成長して医者と結婚して、男の子と女の子が生まれ、今は病院の図書館のボランティアをしているという平均的な人生が語られます。

そして、穏やかな引退生活を送るトニーは、住むアパートの紙くずを整理していた時に、見知らぬ法律事務所からの長封筒を開きました。

中に入っていた手紙は、トニーに500ポンドの現金と、2通の文書が遺贈されたことを伝えていました。

奇妙なことに、遺贈したのは、学生時代に付き合ったベロイカの母親セーラでした。

遺贈された文書の1通はセーラがトニーに宛てた手紙で、もう1通は死んだエイドリアンの日記でした。

セーラの手紙は、エイドリアンの日記と500ポンドの遺贈と、トニーが、ベロニカと付き合っていた頃、夏休みに彼女の家で過ごした時に家族がトニーにしたひどい扱いを詫びていました。

弁護士は、日記はベロイカの元にあり、彼女からまだ手放す準備ができていないという返事をもらっていることを主人公に伝えます。

その後、ベロイカとのやりとりが繰り返され、物語はミステリーじみた展開をするわけですが、最後に驚くべき事実がわかります。

この小説の主題はこのストーリー展開にあるわけではありません。

ストーリーの合い間に書かれている数々の言葉にあります。

60代半ばを過ぎたトニーの記憶のあいまいさ、語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折り改ざんされる人生について自虐的に語られています。

今70代に達した私にも、うなずける言葉もありますが、いやいやそうではないだろうという言葉も多々あります。

今はもう何事も変えられず、修正もできない過ぎ去った人生の累積があり、また起きてしまったことへの責任があり、その先には茫漠とした混沌が広がっています。