師走風景

今日は土曜日、11月26日、会社生活を送っていた頃は今日から来年の1月5日頃まで長い冬季休暇に入っていたはずです。

定年退職して4年も過ぎたのに、まだまだ感覚が抜けきれないことがかえって不思議に思われます。

今日は昨日の天気と打って変わって青空が見え、日も差して、心も明るくしてくれるようです。

名古屋の天気予報は曇り、最低3度、最高9度、風速0.56m/s、湿度84%、幸いなことに予報が外れて晴れています。

図書館は、今日が今年最終日で、明日から1月4日まで閉館ですから、届いている図書を受領しに出かけないといけません。

妻が師走の買い物に近くのイオンへ出かけました。

正月料理の黒豆や栗きんとんを少しずつ買ってきて、明日妻の実家へ、足腰弱って外へ出ることがままならない義母のために、車で届けてやる予定です。

妻が帰ってきて、お茶をしてから、私が入れ替わりで図書館へ出かけました。

バス停で老人達が数人待っています。

風はありませんが、バス停はマンションの日影で空気は冷たいので、足の屈伸をしながら震えて待ちます。

この辺が気軽に車を出す贅沢に馴れてしまった身にはこたえます。

バス停に並ぶ人数がいつの間にか増えて、7,8人になったところで、ようやくバスがやってきました。

遠い将来、自動運転のオンデマンドミニBEVが多く走るようになったら、1902年から延々と続く乗り合いバスの走る光景は一新されるのかもしれません。

暖かいバスの一番後ろに近い席で、ゆらゆら揺れながら小説を読んでいました。

まだ読んでいない小説は星の数ほどあって、それらを読んでいる間に残された一生は終わってしまうのかもしれません。

人の死は、心がそれを受け入れられるようになった時に訪れたら僥倖というべきかもしれません。

バスの中でうつらうつらして、認知症か、死の疑似体験のような心地になった所で、駅終着のアナウンスがありました。

駅の階段をとことことリズミカルに下る若い女性や、駅の構内を速足で先を急ぐ人々が行き交っています。

そこを通り過ぎ、デパートの地下へ出ると、コロナ禍など、どこ吹く風とばかりに、師走で華やいだ人々の往来があります。

店頭の長い行列と、縁起物の袋をぶら下げた主婦の間を縫うようにして、上階へ向かうエスカレーターへたどり着きました。

いつもデパートの清潔なトイレへ寄って、万全の体勢になってから、寒風吹き下ろす図書館へ続く路へ出ることにしています。

1階の頭がクラクラするような妖臭漂う、化粧品売り場を通り過ぎてから入口のドアを通ると、外は別世界です。

父親の腕にすがって歩くフカフカ帽子の小さい女の子を追い越して、勢いをつけて速足で進んでいくと、いつもより早く図書館の入口階段に達しました。

入口でアルコール消毒をして、中へ入るととても暖かく、耳がほてってくるのを感じます。

今年最後とあって、加えて土曜日でもあり、区立図書館内は賑わっています。

返却図書と受領図書を窓口で済ませて、雑誌コーナーで椅子に座って一冊読んでいたら、暖房が効いているせいか気持ち良くてうつらうつらしてきました。

これでは館内で居眠りする老人達と変わりませんので、さっさと雑誌をかたずけ、図書館を出てきました。

行きと違って、帰りは遅速です。

ゆっくりゆっくり帰りの歩を進めるのは、夏の海で湾内に浮かぶ島から海岸へ向かって泳ぐのとよく似ています。

ほとんど止まっているのと変わらないぐらいゆっくりと手と足を動かしているうちに、島影は次第次第に遠ざかり、白い海岸の砂浜がゆっくり近づいてきます。

やがて足が付くところまでくると、戻ってきたことにやっと安堵し、振り返ると遠くに見える島をふりあおぎ、あんな遠くから帰ってきたのだと不思議な感に打たれます。

少しづつ歩んで、いつか遠くへやってきてしまったことを感じるのは人生もまた同じです。

師走に入った今日この頃、同じような感に打たれることが多くあります。