冒険家 三浦雄一郎は要介護4になっても、リハビリトレーニングに励み、遂には歩けるようになった

10月27日、再び金曜日が巡ってきました。

寝坊して7時半になってしまったので、朝のゴミ出し後のジョッギングは無しです。

今日も快晴ですが、外出はせず、車から荷物を引き上げるため、駐車場を往復することで一日は終わってしまいました。

あと2つの荷物をトランクに残し、エンジンをかけて異常が無いか確認して今日は終わりとしました。

明日は車内に掃除機をかけて、もし時間があるならば、最後にワックスでもかけてやろうかと考えてします。

今日の名古屋は、晴れ所により曇り、最低12度、最高23度、風速0m/s、湿度79%、気持ちの良い天気でしたので、シェフレラをベランダに出し、たっぷり水やりをしました。

来月に入ったら、現在行っている名古屋市のスポーツセンターの1か月定期券を年間パスポートに切り替えようと思っています。

妻に一緒にスポーツセンターでトレーニングしないかと誘ったら、あまり気乗りしない返事が返ってきました。

妻曰く、歳を取って、かつて体を鍛えた冒険家の三浦雄一郎でさえ要介護4になってしまったくらいだから、かえって運動などせずに大人しくしていた方が良いのではないかということです。

三浦雄一郎が認定された要介護4は、介助なしで立ったり歩いたりするのが難しい状態を指しますから、かなり重度の疾患です。

三浦雄一郎が、要介護4になった原因は、87歳の時に、突然、難病の「頸髄(けいずい)硬膜外血腫」を発症したためでした。

「頸髄(けいずい)硬膜外血腫」は原因の分からない特発性が殆どといわれます。

原因の一つに高血圧があるので、三浦雄一郎が65歳で、一度引退を決めた時、不摂生でメタボとなり、不整脈、高血圧、高脂血症を患い、糖尿病の疑いもあって、医師から「3年以内が危ない」と余命宣告を受けたほど進行していたことが遠因であったと疑われますが、実際は分かりません。

三浦雄一郎は、首から下が動かなくなる半身不随の状態に陥りながらも、必死のリハビリトレーニングにより、ノルディックストックを使って歩けるようになるまで回復しました。

まさに不屈の精神で、87歳を超えての挑戦でした。

三浦雄一郎の驚異的な回復は、医師から奇跡とまで言われています。

三浦雄一郎のこのまれにみる稀有な体験からしても、運動習慣は重要であると言えます。