年賀状から郵便や人々の生活に思いを馳せる

1月2日、お正月2日目、空は曇り、街は静かに佇み、外へ出ると冷気が頬に触れ思わず身震いをしました。

2日目にして、朝はトーストとコーヒー、シリアス、特別感は元旦かぎり、日常に戻り、何となく安ど感があります。

妻が今日は郵便が無いというので、実際にエントランスのポストへ確認しに行くと、確かに空でした。

以前は、2日も配達されていたように思いますが、一体いつからそのようになったのでしょう。

ネットで調べると、2017年の正月から1月2日の配達が取りやめられていて、元旦に配りきれなかった年賀状は3日に回すとしているようです。

1月2日は普通郵便の配達もされませんが、速達やゆうパック、書留などは2日も配達されます。

もう随分と前からそのようになっていたようですが、私の鈍感ぶりも極まれりです。

理由は、人手不足がその一つで、正月手当負担増に対する収益改善、年賀状がピーク時よりも減ったことも挙げられているようです。

元日の年賀状配達は、以前は10時までに配達されていましたが、やはり人手不足のため12時までに届けることが目標になっているとのことです。

年年歳歳、若者が減り続けるこのご時世では仕方無いことではあります。

新年の挨拶もネットのLINEで済ませる若者も増えて、年賀状そのものが減っている諸事情も何となくわかるような気がします。

郵便がないとどうしても困るという事情は減りつつあります。

郵便事業が民営化されたのは、小泉政権の時でしたが、手紙やはがきを普段出さなくなった我が身の周辺を鑑みても郵便局の台所事情が苦しいであろうことは想像に難くない状況ではあります。

ネット通信がこれだけ発達普及した中で、昔ながらのハガキや手紙のやり取りをする郵便が生き残る余地があるのか議論は多々あるでしょう。

一方、地球の裏側からでも一瞬のうちに伝わるネット通信は、一瞬のうちに消えて残らない情報です。

手紙やはがきは紙に刻印された歴史でもあります。

発信した人が亡くなった後、後々の人が目にしてその時々の時代背景や空気感を知るよすがとなるものです。

そのような個々人の記憶や歴史を残す意味があるのか否かは議論の余地がありますが、後々の人々の心を触発し、力づけや物事を考える発端となれば意味を成すと言えるでしょう。

なお、人口減少と過疎化がすすむ現在、田舎に行けば、今でも、小包の受取や、お金の出し入れは郵便局だけというところが多く、そのような孤立した地域では、なくてはならないインフラの意味合いが強いです。

採算が取れない事業は、ドラスティックに撤退整理統合する民営事業だけに頼れば、ある日突然宅配がされなくなったり、倒産して貯金や保険業務が停止されることもあり得ます。

規模縮小されたとはいえ、郵便業務は、庶民の生活のミニマムを保障し支えるインフラであり、むしろ国営化するべきであるのかもしれません。

水道・電気のインフラを維持するコストを考えれば、街中に集中して住んでくれた方が効率が良いという話をある自治体の技術職員が話すのを聞いたことがありますが、街に住む人々の食は野や田畑で賄われます。

野や山は多様な生物の住む地でもあり、そのような地域は生存域を分かつ緩衝地帯にもなっています。

街に住む人々の安定した生活を支えてくれているのは、そのような地に住む人々であるとも言えます。

美しい野や山、田園風景を守ることは、ある意味国を守るのと同じようにコストをかけて維持すべきものなのかもしれません。

今日の名古屋は、晴時々曇、最低3度、最高9度、風速2m/s、湿度56%、日が出ると心が明るくなり、雲に覆われ暗くなると気がふさぐ、人の心はままならぬ。