安心、安定を求めながら、変化、新しいことも求める

この1日、2日ほど、妻に起こされる日が続いています。

寝過ごして、ごみを出すのが遅れました。

大きな袋が網の下に入っていて、その脇へ押し込み、網をかぶせていると、犬を散歩させている男がそばを走り去りました。

風は地上を威勢よく吹き上げ、涼しい風を顔に受けて戻ってきました。

まだ8月なのに、少しだけ秋を感じる朝でした。

今日の名古屋は、小雨、最低26度、最高33度、風速0.56m/s、湿度79%、妻がenvy記事をネットで見つけて私に聞かせる愚鈍さにあきれるが、一体あのような記事は女性の奢侈願望と、他人への依存志向故、読まれるのだろう。しかし自分が父親でもし娘がいたら、恐らくそのような男と結婚することを望むに違いない。

定年退職して、年金生活をする身になって、貧乏生活に慣れてくると、かつて会社員だったころは、随分と贅沢な生活をしていたのだと、今更ながら感じます。

1996年に購入したトヨタ・マークⅡは、既に26年目に到達しようとしていますが、当時新車で購入した時は、30万円値引きの275万円ぐらいだったように記憶していますが、今や70歳を超えて、あと何年車に乗れるかと指折り数えるようになると、とてもそのような大金を出して車を乗り換える気にはなれません。

どのような、車を買っても、基本的に6年経てば評価査定はゼロですから、車というのは、究極の贅沢品です。

女性がいくら金使いが荒いといっても、数年ごとに車を乗り換える男の車狂いに比べたら、可愛いものです。

とはいっても、男にとって、車は買わなくても、新車が出るたびに、心躍らせるものがあります。

オープンカーに乗って、海岸線を走って爽快な風を感じたいと想像したり、高価なEVの静寂感のあるドライブフィールを味わってみたいと思うのは、見果てぬ夢のようなものです。

移動する道具である車は、男のロマンを掻き立てるものがあるのかもしれません。

常に移動し続けること、常に変化があることに夢を感じるのかもしれません。

安心、安定を求めながら、変化、新しいことも求めるというのは一見矛盾していることのように思います。

しかし、安心、安定の中に、何かしらの刺激やアメイジングを求める意識は程度の差こそあれ、誰でも持っているものでしょう。