初詣のおみくじで久々に大吉

今日も良い天気で、朝から明るい太陽の日射しが眩しいほどでした。

いつものように6時ごろ起きたときは、まだ真っ暗でしたので、もう一度寝たら、妻の声がして、あれっと思ったら大幅に寝過ごしていました。

ゴミ袋を下げて慌てて外へ出て、集積場所へ行くと、大きなゴミ袋がいくつも出ていました。

網を持ち上げて、それらの上へポンと置いて戻ってくると、今日は幸い誰とも会いませんでした。

戻ってくる時に、各戸の玄関先でなにやらゴソゴソする音がしましたから、もう少し遅かったら、端から朝の挨拶をしてまわることになっていたかもしれません。

今日の名古屋は、晴れ所により曇り、最低1度、最高6度、風速1.67m/s、湿度49%、サニーデイと言えるほど明るい日ですが、一歩外へ出ると、少し風が強く、その冷たさは並みではありません。

今日は天気も良いので、初詣に行くことにしました。

例年松の内は混みそうなので、コロナ感染の心配もあり蜜になりそうな日は避けていますが、左義長が多く行われる15日前後までには初詣に行きたいと思っています。

実はいつも初詣に行っている熱田神宮は左義長は行っていないので、初詣は1月中に行けば良いのですが、7日七草がゆ、11日に鏡開きも終わると、正月気分もどんどん抜けてしまうので、あまり日を置かずというのは気分的なものです。

今年は、14日の金曜日が大安で良かったのですが、妻が金曜日に用事があるので、行くのなら今日か明日と思い、13日木曜日が仏滅なので、今日ということにしました。

今日12日は先負で、先んずれば負けという意味から転じて、午前中は凶、午後から吉ととらえられますので、午後から初詣に出ました。

実はこの六曜は神事或いは仏事とは全く無関係で、初詣は仏滅でも何時でも行って大丈夫なのだそうです。

仏滅は何かを断ち切り新しくスタートさせるのには大安よりも良い日と、とらえる見方もありますので、一年の良き始まりを願う初詣をするには最も良い日という解釈もあります。

六曜は中国が発祥の占いのようなもので、起源も決まりも曖昧で、言ってみれば「迷信」として広まった観念なのだそうです。

この六曜は、日本ではあまりに広まりすぎて、カレンダーに記載されているものも多いですが、この迷信のお日柄にとらわれて物事をするしないの判断をするのは愚かしいことなのかもしれません。

平日の午後ということで、バスも電車も空いていました。

といっても全くガラガラというわけでもなく、座って行かれるくらいの空き様です。

おかげで、読むのか遅れ気味だった小説も、今日は大分先へ読み進むことができました。

名古屋をぐるりと回る環状線である名城線に乗って、神宮西駅に着きました。

何やら小さな紙袋を持って、駅階段を上がっていく女性も何人かいて、何となく安心します。

やはり初詣は、1人2人であまりにがらんとしていると物足りないと思う気持ちがあるのかもしれません。

しかしコロナウィルス感染防止のためには、3密防止、ソーシャルディスタンスを保てる初詣が一番安心安全です。

駅から地上へ出ると、青空が見え日差しも明るいのに、白い雪らしきものがパラパラと舞っていました。

参道の端は濡れて、少し氷が張っていました。

見上げると、大きく張った木々の葉がざわざわと鳴り、もののけの気配を感じさせるようです。

拝殿である本宮前は、例年見慣れた白幕の張られた風景でしたが、人数制限も無く、1人2人並んで待つ程度でした。

おみくじと御札御守りを買う札所である授与所は、列がありましたが、以前来たことのある正月3が日の混みようとは雲泥の差です。

去年はどうであったか忘れましたが、今年は、番号を振る場所と、おみくじをもらう場所が別になっていて、番号を振ってから列に並ぶやり方になっていました。

今年は私は大吉、妻は中吉でした。

久々の大吉で、今年は良いことがありそうな良い気分となりました。

帰りは電車もガラガラで、名城線も方向が違うと混みようが全く異なるようです。

妻が西友に寄りたいというので、バスで我が家の最寄りを通り過ぎて行きました。

なんやかやと不足の食料品を買い、帰ってきたのは、家を出てから3時間以上が経っていました。