周りの人との関わりの親しさによって孤独感も変わってくる

今日は朝から曇っています。

また少し寒くなるのかと、見構えてしまいますが、自然は素知らぬ顔して、肩透かしを食らわせます。

朝方、妻に起こされて、今年最後の資源ごみを出しました。

ダウンジャケットにマフラーを巻いて、完全防備で出た割には、さほど風もなく、空気が凍えるほど冷たいというわけではありませんでした。

遅く起きたにも関わらず、ゴミ出しは一番乗りでしから、皆正月休みモードにどっぷり浸かっているのかもしれません。

名古屋の天気は、曇り、最低3度、最高9度、風速0.56m/s、湿度49%、昨日より若干気温が上がっているようです。

妻は友達と会うため、今日は外出です。

私自身のことを考えると、私が名古屋へ会社の転勤でやってきたのは、43年前ですが、以来会社での付き合いはあっても友達付き合いというのは無かったように思います。

友達という関係を持ったのは、多分まだ学生だった頃であったように思います。

小学校から中学、高校、大学と歳を重ねるに従い、周囲に友達がいましたが、その都度、距離が離れれば、その前の友達とは疎遠になっていったようです。

会社生活を送るようになってからは、仕事関係で多くの人と関わりましたが、互いに仕事上利害関係をもった人達は、定年退職により会社組織から離れてしまえば、瞬く間に疎遠になります。

友達とは、恐らくあるコミュニティーを通じてできる繋がりと言えるのかもしれません。

とすれば、いつまでも切っても切れない繋がりとは、家族ということになるのでしょう。

会社を定年退職しても、全く孤独を感じないのは、妻がいて、妻の老父母、姉妹が近くにいるからでしょう。

日々のコミュニケーションとしては、この狭く小さい繋がりだけでも充足してしまうのは不思議なものです。

たまに実家の兄弟から連絡をもらうことがありますが、日々の生活では、当然のこととして、近くにいる妻や妻の老父母との繋がりの方が強く感じられます。

社会に迷惑をかけることなく、生きていくことができれば、人は何をしても自由であると教えてくれたのは、中学校時代の歴史の教師でした。

コミュニティを広げるのも、広げないのも個人の自由であり、友達という関係はそれらのコミュニティの関係の中で自然発生的に生まれてくるものだろうと思います。

そして周りの人との関わりの親しさによって孤独感も変わってくるのだろうと思います。