アニメ短編「頭山」は落語の小噺を元にシュールな異世界を描いた作品

快晴、少し気が遠くなるほど遠くに来た気分になることがあります。

本日の名古屋は、最低11度、最高23度、風速0.56m/s、湿度57%、ブランチ後、イオンへ行くと、とても背の高い1メートル80センチを優に超えるような歳を取った婦人が目の前を歩いていて、背の低い高齢の老婆を伴っていました。まるでアニメの世界に落込んでしまったような錯覚を感じます。

昼過ぎに家へ帰ってくると、妻は友人と昼食会に出かけて留守でした。

妻が出かけたときは、いつものように、車からバッテリーを外してきて充電します。

外から帰ってくると少し額が汗ばむほど良い陽気です。

ベランダのサッシを開けると、気持ち良い穏やかな風が吹き通ります。

アニメ短編映画の「頭山」を観ました。

アカデミー短編アニメ賞にノミネートされた作品ですが、よくぞこのようなものが注目されたと驚きます。

「頭山」は元々は落語の小噺ですから、言葉で語られるだけであるなら、軽妙で小気味よい話ですが、これを動画化するとなると、かなりグロテスクなものとなることが想像できます。

本作品は、現代の東京に舞台を設定してつくられているので、落語の時代とは少し異世界を感じさせるものとなっています。

ケチな男が拾ってくるサクランボは、街路樹からですし、サクランボの種を食べて頭に生えてくる桜の見物に押し寄せて来るのは、サラリーマンやOLたちです。

桜の木を抜いてしまった跡の頭の穴に水が溜まると、魚釣りも来ますが、多くの海水浴客が集まってきます。

全て現代風にアレンジされているところは、馴染みやすく、日本の現代の小市民生活が反映されています。

常識外で飛んだ話として作られていますので、象徴と具象が混乱して、わけが分からなくなるかもしれません。

最後の男の頭の穴へ男自身が身を投げるシーンなどは、シュールな世界そのものです。

大体にして、落語の噺の元となっているサクランボのなる木とお花見で観るソメイヨシノは別物です。

公園や川沿いの桜の花が散って、しばらくすると小さな赤い実を見かけることがありますが、いくら待ってもサクランボにはなりません。

観賞用の桜にも実がなることがありますが、小さな実で美味しくはありません。

サクランボがなるのは、同じ桜でもミザクラとか桜桃(おうとう)と呼ばれる品種で、同じ桜の仲間ですけれど別物です。