男は狩猟で食を獲得してくるのは今も昔も変わらない

今日は木曜日で、空は雲一つなく晴れ上がり、昼時リビングは23.5度の陽だまりの中にあります。

名古屋の天気予報は、晴れ、最低9度、最高19度、風速0.56m/s、湿度44%、昼下がり5年前会社員だった頃の非日常が今では日常で、温かさの中にうずくまる今日この頃です。

現代の社会においても、男は狩猟で食を獲得して、家族を養うという図式は変わらないように思います。

狩猟がお金に変わり、遠い過去からはるか未来まで、永々と続いていくように思えます。

例え、子供が居なくて妻だけだとしても、それは変わりません。

年金生活に入っても、多くは男の年金の方が多いので、少なくなった獲物(お金)とはいえ、それで妻を養っていることに変わりはありません。

少なくなってしまった獲物に文句を言われることはあっても、おいそれと簡単にお金を増やすことができないことに不甲斐なさを感ずるのが定年退職後の生活です。

何物にも束縛されず自由ではあるけれども、何をするにもお金の制約があって不自由なのが年金生活です。

日々の過不足は欲得の大きさに比例して、幸不幸の度合いが決まります。

自由ではあるが、清貧の心境に到達できるほど人格の成長無く、日々小事に頭悩ます今日この頃です。

恐らく悩み心動かすこと自体が、生きている事の証となっているのかもしれません。