優しい二人の世界をいつまでも

今日の名古屋の天気は、時々どんより曇ってあまりよくありません。

いつまでも収束しないコロナウイルス禍ですが、病院の院内感染が広がっているので、いつも薬をもらいに行っているクリニックもいつ閉鎖の憂き目をみるか分かりません。

薬が3日分しか残っていないので、早めに薬を入手することにしました。

平日の午前中なので、病院は、相変わらず主婦と老人ばかりですが、併設されている耳鼻科のいつもなら溢れるばかりにいる子供の姿が見られません。

そのためもあってか、皆1メートルから2メートル間隔で長椅子に座って待っています。

ベージュ色の合皮シートを看護婦がアルコール消毒していました。

いつものように少し離れた椅子に座って、名前が呼ばれるのを待ちました。

頭上に見える液晶テレビの画面には、コロナウィルス感染のニュースがひっきりなしに流れています。

遠く離れたヨーロッパやアメリカの地でも人々の頭上でテレビモニターがコロナウィルス感染の状況を流し続けているのかもしれません。

ドイツでは感染の勢いが減ってきたので、街が少しづつ再開を始めたようで、「コロナととともに生きる」ことを首相自らがテレビ会見で表明したようです。

アメリカでは、職場の閉鎖により、仕事を失った人々がデモをしている映像が流れました。

まさに未だかつてないパンデミックに陥った世界の歴史の一場面を目にしていることを実感します。

感染者が最も多い欧米でも減少に転じているとはいえ、日々増減する統計の狭間で、遺族に看取られることなく孤独に死んでいく人々がいます。

転じて、日々の目の前の日常は、まだ身近や身内にコロナウィルスの犠牲者がいないだけに、静かに過ぎつつあります。

これは単にたまたま運のよい幸運の中にあるというのに過ぎず、ある日突然、目の前の世界が豹変するのかもしれません。

いつものように、穏やかな医師の見立てが終わって、薬をもらって入口へ向かうと、足の悪い老人夫婦がうずくまり緩慢な動作で靴を探していたので少し待っていました。

小さな老人も意外と広い動作範囲があるので、無理に傍を通ると危ないことがあります。

ようやく靴を履き終わって、二人してゆっくりゆっくり出ていく後ろ姿を見送りました。

疫病の災禍から逃れ、優しい二人の世界をいつまでも送り続けられることを願わずにはいられません。