平和公園でお花見

6時に起きて、ゴミ出しをしました。

天気はとても良く、陽気も暖かくて申し分の無い、白っぽい朝の始まりでした。

4月6日、水曜日、これと言った予定もなく、一日の始まりは自由そのものです。

何をするのも自由とは、それだけで充足してしまって、何もしないことになってしまうのが不思議に感じられます。

今日の名古屋は、曇り、最低10度、最高23度、風速0.83m/s、湿度44%、昼過ぎは青空が広がって快晴でした。

午後から、遅ればせながら、平和公園へ桜見物に行きました。

この数日で、桜は大方散ってしまったのではないかと思いましたが、妻が義父の買ったお墓の掃除をしたいというので、出かけることにしました。

平日ですから、道路は空いていて、車はすんなりと公園の中へ入っていくことができました。

ところが、驚いたことに、駐車場は満車で、公園内の路の左側にびっしり駐車されていました。

奥へ奥へと入っていくと、ようやく駐車の車列が尽きて、路の左端に寄せて停めることができました。

車を降り、妻と公園内を散策すると、ソメイヨシノはかなり散っていましたが、枝垂桜は今が盛りと咲き誇っていました。

妖艶な満開の枝垂れ桜の下で、母親がシートに座って周りをキョロキョロ見まわし、その傍らで中高校生くらいの娘が体育座りをして、一心にスマホを操作していました。

桜に沿って歩いて行くと、そこかしこの桜の下で中年の女性や、小さな子供を連れた母親がお花見をしている姿は平和そのものです。

猫が洞池の水面がやけに引いているので、よく見ると、珍しいことに池の底が見えていました。

看板があって、池のしゅんせつ工事と書かれていました。

池の階段状の岸辺から、母親と小さな女の子が降りてきて、かつて水底であったところを歩いていました。

残っている池の水際に佇み、まるでそこが以前からずっと岸辺であったかのように錯覚させられます。

池の底の土はヘドロかと思いきや、砂礫を含んだ白っぽい土で、瀬戸の陶器採取跡地のグランドキャニオンや、街中の家を建てている現場の土と何ら変わりない綺麗な土でした。

一体どれくらいの周期でしゅんせつ工事をしているのか知りませんが、かつての水底へ降り立った少女にとって最初で最後の経験になるのかもしれません。

次にこのようにして、池の底が見られるのは、数十年先でしょうか。

メモリアルパーク、一言では墓地ですが、恐らく他では見られないくらいの数の墓標が延々と公園の中に連なっています。

海外でよく見る墓標は1つに1人が埋葬されているようですが、日本では、代々の墓に時には何世代もの人々が一緒に埋葬されています。

それを考えると、平和公園に眠る人々の数は気が遠くなるほどになります。

車を走らせ、グルリと回っていくと、公園を貫くメインの道路を横切らないといけないはずなのに、妻が義父の買ったお墓はすぐそこだと言うので、えっと思い、方向感覚の失われた不思議感のまま、言われるままに駐車場に停めました。

お墓の間の狭い径を走って、90度曲がって真っ直ぐ走ってきたつもりが、いつの間にか180度回って、お墓の裏手まで来てしまったようです。

妻が林立するお墓のある一角に入って行き、ついて行くと確かに、去年も訪れたお墓がそこにありました。

妻の父母はまだ健在なので、お墓には誰も入っていないのですが、妻は頼まれたのか丁寧に水をかけて苔を洗い落としていました。

妻に掃除を任せて、その区画の墓石の間を歩いて回りました。

墓石の側面に亡くなった方の没年が記されていました。

既に数人の名前が記され、90代、80代、70代が殆どですが、中には30代から10代、そして1歳と記された墓標に一瞬目が静止し、突然訪れた不幸の歴史を想わせます。

再び駐車場へ戻ってくると、駐車している車が増えていて、私の車の近くを老夫婦がゆっくりと歩いていました。

駐車場を出て、お墓の間の狭い径をゆっくり走ると、すぐ目前に既視感のある道路が横切っていました。

去年も来たはずですが、こんなに近かったかしらと、少し狐につままれたような奇妙な気分でした。

迷宮のようなお墓の中の径を抜け出て、勝手知ったる馴染みの道に出てくると、ようやくホットしました。

帰り途中で、藤が丘へ大回りし、桜並木の霞むアーチの下を、ゴージャスな花吹雪を受けながら通り抜けました。