妻に付き合って散歩

今日は7時前に起きて、不燃ごみを出しました。

空は曇っていましたが、雨は降っていませんでした。

風も無く、完全防備で外へ出たので寒くはありませんでした。

帰ってきて、もうひと眠りともう一度ベッドへ入って、何やら辻褄の合わない夢をみて、妻の声で起こされた時はいつもより寝過ごしていました。

外は空は灰色に覆われて、小雨が降っていました。

今日の予報は最低気温6℃、最高気温12℃ですが、リビングの気温は18.9℃を示しているので寒くはありません。

昨日は天気が良かったので、妻の散歩に付き合って30分ほど歩きました。

坂を下り、商店街を回って、小学校を半周後、住宅街を抜けてから公園の池をぐるりとほぼ一周して、再び瀟洒なマンションの立ち並ぶ坂をゆったりと歩いて帰ってきた時は随分と体がほかほかしていました。

石畳を歩きながら想像したのは、ネコの散歩でした。

家ネコでもノラネコでもネコは毎日勝手に一匹で散歩に出ます。

多分、日光に当たるのと、運動によって新陳代謝を維持するためということでしょうが、ネコは外の光に惹かれて、漫然といつもの景色の中を移動しているだけなのかもしれません。

ネコも歳をとって、動きが悪くなると散歩をしなくなるのだろうかと思いますが、ヒトの場合は体が動く限り、外をよく動き回ります。

多分動き回ることに依って、目に映る光景の変化が刺激を与えることはネコもヒトも変わらないことかもしれません。

道端でふと見た赤や黄の花の光景が、家の中でじっと動かないでいる時に、心地よい記憶として、再び外へ身を置こうとするモチベーションになるのかもしれません。

ネコはいつもと変わらぬ景色の中を散歩することはあまり無いと思いますが、ヒトは変化や刺激を求めて、好んでいつもと違う光景の中を歩き廻ります。

久しぶりに歩いた近くの商店街はいつの間にかシャッター街に変わっていました。

その街中を遊び車のスポーツカーが走り抜けていくのを、訝しげに見ながら、この街の人々は店を閉めて、どうやって暮らしを立てているのか、その向こう側にいる人々を想いながら、カラーブロックの歩道をゆっくり歩きました。

せせこましい街をしばらく歩いていくと、大きな一画を占める小学校の建物が有り、平日の昼日中がらんとしているのは、コロナウィルス騒ぎの影響で臨時休校のためでした。

これだけ広い場所と建物・運動場が全く利用されないというのも、勿体ないと思いながら、住宅街に入っていくと、狭い路地に軽自動車がぎっしりと縦列駐車しています。

先入観無しに眺めると、この世の中の空間の粗密は、歪で偏りがあってアンバランスです。

大きなマンション群を取り囲むように植えられた木々の根元に、45度の傾きで取り付けられた照明が、何となく勿体ないように思えましたが、暗くなった後の街路灯の役目を果たす役割を担っているのかと納得すると、電球交換メンテを考えるととても合理的な方法に思えてきます。

しばらくすると桜の満開で華やぐ池が、いつの間にかゴミも無くきれいになっていたのに、その脇をぐるりと巡る径には、そこかしこにビニールの袋が打ち捨てられていて惜しい感じがします。

普段妻は昼の散歩を、私は夜の散歩を日課としているので、普段見えないものがよく見えてしまうのかもしれません。

夕食後いつもの夜散歩で、坂を下って、銀行の脇を通り、十字路の交差点まで、歩くような速さで走ります。

イオンに寄って、売り場を除くと、トイレットペーパーが山積みになっていました。

我が家でいつも買うトイレットペーパーよりも高くて428円のものだけだったのは、安いものが先に売れてしまって売れ残ってしまったのかもしれません。

ボックスティッシュが、やはり同じくらいの値段のものが一画の棚に積んであったのも同様の理由からかもしれません。

相変わらずマスクはありませんでしたが、我が家は私のマスクも妻が手作りしてくれたので、もう要りません。

まだ高いながらも、不足品だったものがスーパーに並び始めたことは喜ばしいことです。

ネットで、1ロール16個入りを18ロールも買い占めた夫が、奥さんに怒られたという記事がありました。

夫は危機意識の低い妻をぼやいていたそうですが、まだ商品不足騒ぎの前に2ロール買う程度であれば非難されることもなかったでしょうが、18ロールは度を過ぎていますし、商品不足の折に買い占めたのでしたら、非常識な自己中心の身勝手な行為と非難されるべきでしょう。

夜散歩の帰りにお米の棚を見てくるのを忘れたので、また散歩に出た時に覗いてみることにします。