朝から晴天で、妻も気分よく、実家へ様子を見るため、出かけていきました。
風もありましたし、エアコンなしで過ごすことができました。
毎日変わりやすい天気ですが、名古屋に住んでいさえすれば安心といった気分に陥りがちです。
災害はいつ何時やって来るか分かりませんから、夢々自分だけは大丈夫などど慢心することなく、危急に備えることが肝要です。
名古屋の天気は、雨、最低25度、最高32度、風速0.28m/s、湿度69%、雨?快晴です。リビングの室温31.8度、最高気温だけ合っています。
相変わらず、左の膝と右の腰の辺りが痛い状態が続いています。
しかし、動かさないと動けなくなる、ひどく痛いときはゆっくりと、少し痛いときは、もう少し押して痛みつけないといつまで経っても痛みは治まりません。
夕食後に、この数日読み続けてきた、J.M.クッツェーの「マイケル・K」を読み終えました。
J.M.クッツェーは南アフリカの作家ですが白人で、2度ブッカー賞を受賞し、ノーベル文学賞も受賞しています。
本書は1983年ブッカー賞の受賞作品です。
舞台は南アフリカで、主人公、マイケル・Kは、小説の第Ⅰ章で、31歳の男性、口唇裂、ケープタウン市営公園管理局に庭師3級のち1級で勤めていたと書かれています。
時代は、悪名高いアパルトヘイト政策が行われていた頃でした。
それでは、一体マイケル・Kの人種はというと、小説の中では明確に書かれていません。
第Ⅰ章の中ほどで、マイケル・Kが警察に留置場へ放り込まれ、留置記録にさりげなくCMと書かれています。
小説の訳者あとがきの中に説明があり、Cはカラード、Mは男性の意味だそうです。
当時のアパルトヘイト政策では人種は、白人、カラード、アジア人、黒人の4つに分けられ隔離政策が執られていました。
カラードとは、白人と先住民族の混血、インドネシアやマレーから奴隷として連れてこられた住民との混血のことです。
マイケル・Kは、家政婦として一生働き、体調を崩して病で入院いていた母親のアンナ・Kを引き取りに行きます。
時は、内戦で多くの負傷者や患者でごった返す病院から、母親は強制退院させられたのでした。
母親は、少女時代を送った静かな田舎へ帰りたいと、マイケル・Kに言います。
マイケルは鉄道の予約をとり、警察で街を出るための許可証を申請しますが、待てど暮らせど許可証が届きません。
アンナ・Kとマイケル・Kが隠れるようにして住んでいる階段下の部屋で待つ間に、暴動があり、家主ブールマン家の家は、滅茶苦茶に荒らされ、マイケル・Kが部屋の外へ出たときは壊された家具やグラスが散乱し、誰もいませんでした。
アンナ・Kは、いつまでも届かない許可証に業を煮やし、待つことを諦めて、母親を手押し車に乗せ、母親がかつて住んでいたという農場の使用人小屋へ向かうことにしました。