2050年の予測を見ることは自分が生きている間の世の変化を知ること

朝、6時半、このところ5時台に目覚めていたことを考えると、遅い目覚めです。

ゴミ袋を下げて外へ出ると、小雨がぱらついていました。

坂の向こうから、サラリーマン風の若い男が、傘をさそうか迷いながらやってきました。

今日は、雨が降ったり止んだりを繰り返し、湿気でべたべたとする不快さを感じる一日でした。

名古屋の天気は、雨、最低23度、最高29度、風速3m/s、湿度75%、風はあるようでしたが、さほど涼しさは感じられず、額に汗がにじんできました。

午後から図書館へ行き、予約図書を受け取ってから、空いている机を見つけて、小説を読み始めました。

コロナ対策で作られた、急場の衝立が小さくて、隣に座っている30代くらいの体格の良い男が気になります。

その男が帰り支度をしていなくなったと思ったら、しばらくして、40代くらいの痩せた男がやってきました。

なぜか、その男は机の後ろで体操をはじめました。

少々頭がおかしいのかと思われましたが、机に就くと、なにやら、もそもそと小さな声を出して本を読み始めました。

図書館へは、このような人が時々来ます。

周囲へ大きな迷惑をかけなければ、見て見ぬふりをするのが無難なようです。

静かに図書館で過ごす気分は一蹴されてしまいますが、本来あるがままの日常風景とは美醜様々です。

帰ってきてからネットを眺めていると、2050年の世界という記事が目につきました。

2050年といえば、もし私が生き長らえることができたら99歳ですから、私が生きている間の世界の変わりようを予測しています。

一体これからどうなるとは誰しも興味を持つものです。

2050年で最も人口の多くなる国は中国に変わってインド、先進国の中では唯一米国が世界3位で人口増加を維持しています。

世界の工場は中国からインドに向かい、インドの話題が新聞紙上を賑わしているかもしれません。

一方日本は、人口が1億人を割って、更に減り続けています。社会の担い手が減少し、生活の質は縮小劣化する暗い予測です。

驚異的な人口増加を見せるのが、アフリカで、私の住む名古屋でも、アフリカ系の人々は1か月に数回見るかどうかですが、2050年には日常のバスや電車の中、街角でも普通に見かけるような頻度になるのかもしれません。

アフリカ系混血の人々が増え、街角ではアフリカ系の人々が出すゴミ袋が地域住民と摩擦を起こしているかもしれません。

GDPは2050年でトップは中国、次いでインド米国、そしてインドネシア、ブラジル、ロシア、メキシコと続き、現在の日本、欧州先進国はそれ以下に沈み込みます。

軍事力はGDPの大きさとともに増加するのが常ですから、インドと中国の衝突が顕著になるのでしょう。

2050年時点でも米国の一人当たりGDPは、中国の2倍、インドの3倍ですから、相変わらず米国は軍事的に他国を凌駕し、世界の経済も米国を中心に回っている版図は変わらないようです。

2050年時点でも、経済の拡大基調から、残念ながら、株などの運用は、日本国内よりも、米国のS&P500をベースとした投資信託の方が、有利なようです。

予測は天気予報と同じで、時々刻々変わっていきます。

既にお隣韓国が、購買力平価換算で、一人当たりGDPが日本を越えたと狂喜したニュースがつい最近あったばかりで、2050年予測の方向性は変わらないものの、さらに状況は先に進んでいる可能性もあります。

安心安全安定を求めて、組織の中の地位保全のため新しい事で失敗することを嫌う傾向が衰退を招いたことは、よく韓国・台湾・中国との競争に負けた理由として挙げられることです。

世界は変化をもたらす者によって変化します。