記憶はいつも都合よく書きかわるわけではない

1月16日、日曜日、晴れて暖かい陽射しのぬくもりの中にいると、昔に引き戻されそうな危うさを感じます。

定年退職すると、まるで病気のように、会社生活を送っていた頃のことを、何度も思い出すことがあります。

これが、食後の片づけやら、風呂を洗っているとき、車を洗っているときなどに、記憶が蘇ってきて、何度も同じことを頭の中で反芻することになります。

よく歳を取ると、昔の良い事ばかりを思い出すと言われますが、それは誤りです。

思い出すことは、大方は良い思い出などではなく、無念で残念な後悔が多いです。

ある時からもういい、これからは水のようになりたいと意識するようになりました。

ジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」の中では、古い記憶は、「あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折り改ざんされる」と書かれていますが、そう都合よくはいかないようです。

過ぎ去ったことは、今さら修正することもどうすることもできません。

必要なのは過去のことではなく、先のことを考えることです。

名古屋の天気は、晴れ所により曇り、最低3度、最高11度、風速0.56m/s、湿度51%、明日は再び雪の予報もありますが、今日はすこぶる良い天気です。

妻が実家の老父母の様子を見にいきましたが、今日は、パキラを外に出し水やりをしてから、風呂掃除した以外は何もやりませんでした。

このところ、日曜日に図書館へ行くことが多いのですが、コロナ感染者数が名古屋市内で300人を越えるまで増えているので、今日は止めました。

夕方、豆腐とわかめのみそ汁と、卵焼き、かぼしゃの煮物を作りました。

ちょっとした料理をしているときは、漫然としてあまり他のことを考えないのがむしろ心地良く感じられます。

丁度、玉子焼きを焼き終わった時に、妻が帰ってきました。