孤独死したおひとり様の記事を読んで思うこと

1月16日、火曜日、5時台にトイレで目が覚め、外はまだ夜の中で寝静まっていました。

8自近くに妻の声で起き、ゴミ出しへ、戻ってくる時に、エレベーターでマンションのどこかの階の主婦とばったり出くわし、どうやら仕事か出かける様子でした。

相手は一瞬ぎょっとした顔をしていましたが、互いに朝の挨拶を交わしてすれ違い、戻ってきて洗面所で鏡を見ると、髪の毛が寝ぐせで立っていました。

今日の名古屋は、快晴、最低0度、最高7度、風速1m/s、湿度69%、外は冷たい風の吹きさらし状態でした。

妻は4回、私も4回、外へ出たり入ったりを繰り返しました。

そのうち、郵便局とイオンへの買い物は妻に付き合いました。

午後からのスポーツジムは、1月6回目、シルバーパスは、28回、16×2-28=4回の余裕です。

図書館へ寄ってから、スポーツジムへ行くと、今日はガラガラ状態で、時々見かける太った中年主婦がのんびりと筋力マシンでトレーニングをしていました。

髪を後ろに束ねたスリムで背の高い女性の姿もありましたが、シルエットの違いが歴然です。

多分女性達からしたら、ゴロゴロとトレーニングしている男どもも同じように見えるのかもしれません。

スポーツセンターは6時過ぎに後にしました。

今夜の夕飯は、私の好物の牛丼、我が家では、炒り卵がどっさり乗って美味です。

食後、スマホでネット上で、おひとり様について書かれた記事を眺めていました。

生涯お金に困ることなく、ほとんど何一つ不自由なく生きてきたにもかかわらず、孤独死したおひとり様の70歳の男が、死後3億円を残していたという記事がありました。

その後、遺産の行方は国庫に入ったようですが、一体この男は生前どうすべきだったかということが書かれていました。

それほどお金があるのならば、高齢でも配偶者が得られたであろうと書かれていましたが、70代の資産家が20代の女性と結婚して子を成すこともなく他界して、残った資産を巡って、親戚と女性との間でいざこざだけが残った記事も思い起こします。

資産を巡っての醜い爭いはとかくあるものとすれば、きっぱりと清く、恵まれない子供たちを救う団体へ、死後の資産を寄付してしまった方がよほどお金は生きてくるのではないかとも思います。