妻のメルカリ全く売れないけれど

今日の名古屋は良く晴れ上がって、外は温かい日和です。

コロナウィルス禍で経済は停滞しているようですが、空気は少しきれいになっているようです。

まるで環境を荒らす不遜な人間を懲らしめるために、自然がコロナウィルスを遣わしたようです。

人間のために、仲間が激減し、あまつさえ絶滅に瀕している者達は、今歓びの拍手を送っているのかもしれません。

自然にとってどちらがウィルスなのか分からなくなります。

とはいうものの、我々人間も種として生き延びなければいけません。

コロナウィルス騒ぎが始まって、数か月が経ち、既に収束した中国、韓国、台湾に続く国が日本であって欲しいものですが、感染者数に一喜一憂する東京をはじめ、ここ名古屋でも、毎日かたずをのんでテレビを眺めて過ごす日々が続いています。

家の中で過ごす時間が以前と比べてさらに長くなっていますが、その中で、突然メルカリで妻の出していた手造りリングが売れて大喜びです。

趣味で造っていたものが売れるのは、使わなくなった服を売るのと違って、誰かに自分を認めてもらえたということで、一層嬉しいのかもしれません。

かけた時間と労力を考えたら、全く合わない、わずかな贖いですが、それでも本人は嬉しいようです。

発送するため、プチプチにくるんで、さらに凝った小さな箱を一心不乱に作っているのを見ていると、この時間を忘れてなにかをしていることそのものに意味があるのではないかと思えてきます。

かつて仕事をしていた時に感じたことがある、特別な感覚を少しだけ思い出しました。

今もそれを感じる何かをしているかと自問すると、少しだけと答えたいけれど、あまり多くはありません。

せっかく自由の身になったのに、それでは勿体ない、それを感じる時があるほどに生きることは充実し、心弾むきれいな日々を送ることができるのかもしれません。

午後から、散歩がてら郵便局へ、帰ってきてから、浴室のフィルター洗浄と、トイレファンのフィルター交換、んー、雑事に追われて一日が何となく過ぎていきます。