歳をとると人と関わるのが煩わしい

今日も良い天気で、風がよく通るので快適です。

朝のごみ出しで少し寝過ごし、妻に起こされました。

あまり遅くゴミ出しをすると、マンションの住人と鉢合わせするので、早目に出すようにしています。

歳をとると、何となく人と関わるのが煩わしくなります。

歳をとらなくても、面倒と思うことはあるかもしれませんが、歳をとると心の中の抵抗感がいっそう強くなるように思います。

最近、マンションの理事長の仕事をしていてそのように感じます。

私のマンションは理事長も順番制で持ち回りですから、1年間はじっと耐えて、ボランティアとして動き回らないといけません。

それだけに、特に頼み事をしたり、交渉することは煩わしく感ずるようになりました。

多分上手くいかないことを、すぐ考えてしまうのでそのように感じてしまうのかもしれません。

いちいち説得や言い訳の言葉を探して発するのが面倒になるのかもしれません。

多分この傾向が高じると、人間嫌いや引きこもりということになってしまうのかもしれません。

人は環境の動物なので、ある環境に引きずり出さないと中々動かないものです。

自分自身も動かそうと思ったら、自らをある状況に堕とし込まないと、いつまでも石の如く無の存在です。

声をかけて大きな破綻をすることが無ければ、声をかけ続ければ良いのです。

もし駄目なら周囲が自然とそのように反応します。

そのように反応したからといっても、会社の仕事と違ってどうということはありません。

常に結果は、自然と治まるべきところに、最終的に治まるのです。

まあどこまでやるかは、納得できるか、やらなくて気持ち悪いかどうかのレベルの問題と思います。

いくらやっても駄目なことは、仕事でも数限りなく経験してきたことなので、それと較べたらマンションの理事長の仕事は、とても軽いと言えます。

仕事と違って無理難題を強いられることは無いのですから、どの選択肢をとるかだけで、自然と落としどころがあります。

最終的に多数決で成立することは明らかなので、少々文句を言われることはあっても、人の意見はまちまちであることは当たり前のことなので、気にすることはありません。

去年の町内会の役員といい、現在のマンションの理事長も同様に、地域のコミュニティーは、煩わしい人と人との関わり合いの中で、いやだと思いながらも、そこに自分の存在の確信があります。