敬老パスの呼び方

久しぶりに名古屋のゲートタワーへ行ってきました。

図書館へ行くついでに、いつも通り過ぎていた地下鉄改札を、ただ敬老パスをかざして通過し、ちょっと名古屋駅まで行って帰ってくるだけのことですが、多分1か月振りでした。

普段外へ出かける時に使う敬老パスですが、もう少し気の利いた呼び方とデザインができないかと常々思っています。

この呼び方は同じ世代の人がつけたのではないと確信しています。

60歳の還暦に赤いちゃんちゃんこを着せて、悦に入っている周りの無神経さと通じるところがあります。

私は67歳ですが、本人はちっとも老人の自覚は無いので、敬老パスを出す時はケースに入れていつも敬老パスの文字側をひっくり返して数字の方を表側にして使います。

多分私ぐらいの歳の人は、皆そうではないかと思っています。

これは一種のハラスメントではないかとさえ思っています。

今日名古屋駅へ突然行ったのは、大きな本屋さんである三省堂へ行くためでした。

最近、街の本屋さんはどんどん減っていますので、大きな本屋さんへ行くとなると、名古屋駅まで出ることになります。

大きな本屋さんというのは、巨大な知識と情報のかたまりであると同時に、我々年代にとっては大人のアミューズメントパークのようなところですから、一日居ても厭きません。

しかし長く立っていると、疲れるし、足も腰も痛くなるので、最近、本屋内のそこかしこに置かれるようになった椅子はとても嬉しい配慮です。

平日とはいっても、街は若者が多く、広大なビルフロワーの華やかな色どりは彼らが主役で、我々年代の者はただそこに居る脇役です。

多分それはそれで良いのでしょう。

子供達のいない街は寂しいし、若者のいない街は美しくないし活力もありません。

やはり見える街の光景は綺麗で活発に動き回っていた方が楽しいものです。

三省堂に1時間半程居て、再び地下鉄に乗って、車中で小説の世界に浸かりながら帰ってきました。

帰り途中に図書館へ寄り、妻の予約の雑誌一冊を受け取って、夜の帳の下りる7時近くに帰宅しました。