2月16日、今日も快晴ですが、一日中、家の中に籠って外出をしませんでした。
昨夜は、読んでいる小説に夢中になって、過度な夜更かしをしてしまいました。
睡眠時間が5時間と、全くもって不健康な寝不足状態となり、フワフワした何とも定まらぬ不安定な体調となりました。
読んだ小説は、今村翔吾の「塞王の楯」直木賞受賞作品でした。
主人公、匡介(きょうすけ)が、7歳の時、故郷、一乗谷(いちじょうだに)が織田軍の猛攻により陥落する際、両親と2歳下の妹と死に別れ、逃げる途中で石工(いしく)職人の飛田源斎(げんさい)に遭遇し、長じて石垣造りの石工職人集団である穴太衆(あのうしゅう)、飛田屋の頭の後を継ぎ、塞王と呼ばれるまでの物語です。
読み終わって、ふっと息を継ぐほど、全552ページに渡る長編ながら、一気に読ませる展開の面白さで読み応えのある小説でした。
最後のクライマックスである、大津城での鉄砲職人の国友彦九郎(げんくろう)の新式大筒との対決は手に汗握るスピード感と緊張感があります。
寸分たがわず大小の石を瞬時に選び出し石積みをする天賦の才を発揮する匡介の技術は、現代では顧みられない匠の盾の技術ですが、常に改良と発明を繰り返し進歩していく鉄砲の技術は現在にも通じる矛の技術と言えます。
しかし、最強の盾を作ることが、戦のない世の中を作ることになると信じる匡介の考え方も、最強の鉄砲を作れば、それが抑止力となり、戦いを終わらせることができると考える彦九郎の考え方も、現代に脈々と継がれています。
しかし、その時々で、最高と思われる技術も次世代の凌駕する技術に置き換わり、消耗され儚くも廃れて、技術は過去を振り返らないのも事実です。
現在の技術社会においても、さらに未来に向かっても、この理は連綿と続き、その盛衰を繰り返していきます。