松坂屋の吉村芳生展を鑑賞

11月19日、土曜日、青空に薄っすら白い雲が筋を描いて広がっています。

昨日は、少し歩き過ぎたのか、腰の痛みが少し残ります。

しかし、致命的な故障も無く、今のところ至って健康であることに感謝します。

このところ就寝が遅くなっているので、注意しないといけないと自覚しています。

このまま、ずるずると夜更かしが習慣化すると、体のどこかに不調が出てくる恐れがあります。

名古屋の天気は、晴れ、最低10度、最高19度、風速0.56m/s、湿度44%、明日は雨が降るようなので、今日中にお米を買いに行った方がよさそうです。

昨日、妻と供に名古屋栄の松坂屋で開催されていた吉村芳生の個展を訪れました。

特に作家に興味があったわけではなくて、たまたま妻が新聞の購読料集金のおばさんからもらったチケットがあったので二人で行ってみる気になりました。

チケットのフレーズに「これ、鉛筆画です。」とある通り、細密に描いた鉛筆画で知られた画家のようでした。

吉村芳生は、私より1歳年上で、63歳で病死しています。

21歳で山口芸術短期大学を卒業し、29歳で創形美術学校を卒業しています。

創形美術学校は東京にある3年制の美術系専門学校とあります。

短期大学卒業後に、山口県の広告代理店に就職しましたが、体調をくずして退職し、創形美術学校に再び入学して版画を学んでいます。

28歳の時に、 シェル美術賞展にて佳作を受賞しています。

私が大学を卒業して、就職して設計の仕事を始めた頃に、彼は、芸術家として初めて世に認められ、歩を進めていたようです。

会場を歩きながら、私の同時代を全く別の場所、別の世界で生きた画家の生きた足跡に同期して、「あの頃、私は」と自らを辿っていました。

29歳でイギリス国際版画ビエンナーレにてアーガス賞、32歳でマイアミ国際版画ビエンナーレにてメリット賞、34歳で第3回小林和作賞(山口県)、などを受賞しました。

彼にとって、それらの受賞は、自身の存在と方向性への確証、周囲に認められる承認欲の充足に繋がり、確実に画家としての地歩を固めていったようです。

個展の会場に入ると、最初に目に入ったのは、モノクロームの荒い目で描かれたような路上の車、駐車場のタクシーを描いた、写真なのか絵画なのか、一見分からないような抽象的な作品でした。

写真製版を利用した一種の版画と説明されていましたが良く分かりませんでした。

私が若い頃、よく目にしたアングロの世界に通じるような荒々しい光景を思わせました。

川原の向こうに建物が延々と続く風景を描いた大作がありました。

少し離れてみないと、背景のコンクリートの建物が連なっているのがよく分からないモノクロームの淡い風景作品です。

彼の超絶技巧の説明がありました。

写真で撮った風景を小さなマス目に区切り、そのマス目の明暗に従い引く斜線の本数を数字で延々と書き連ね、実際にその本数の斜線を手で綿密に描いていくという気の遠くなりそうな手数を重ねて、作品は描かれていました。

撮影した写真にマス目を入れ、マス目ごとに転写する方法のようです。

延々と17メートルにも及び、金網を描いた作品は、巻き取った金網を展開して描いたと言われますが、目で追っていくとやがて眼がおかしくなるような錯覚にとらわれます。

同じ金網パターンが、一見どこまでも続くように見えますが、よく見ると、少し離れた金網は捩れ具合が微妙に異なり波打っていました。

手で綿密に描かれた新聞も一体、何のためにと思わせるような多くの作品が、壁一面に架かっていました。

各々の自画像は、その時々の背景が異なり、観る者は、絵を辿るうちに、自画像よりも背景を鑑賞していることに気づきます。

新聞紙上に描かれた自画像はもう沢山と思われる程の365枚も掲げられていましたが、その一群の絵画を離れてしばらくすると、その紙面上に描かれた異なる画家の表情が、不思議と残像として残っています。

まるで、パラパラめくる動画のように、妙に画家の実像が浮かび上がってくるのが不思議です。

抽象的な現代アート風の画風から、後半、一転して具象的で色鮮やかな花を描いた作品が続きます。しかもそれらはすべて色鉛筆で描かれていました。

具象画を描き始めた画家の動機として、生活費を稼ぐためとありましたが、画家の評判としてはこちらの方が、画家の世評を広く知らしめたようです。

会場の出口近くに掲げられた、藤棚の大作は、ニコンD60を使って撮った写真を基に描かれたと説明がありました。

何もない空白部分も、細かく几帳面にマス目がびっしりと引かれていました。

藤の花一つ一つに東北大震災の犠牲者一人ひとりの魂が宿るとして、細かく綿密に描かれたと説明がありました。

一房づつ目線で辿った後に、あらためて全体を俯瞰した時、その迫力に圧倒されます。

広い展示会場を出て、妻が出てくるのを待って一休みしました。

妻が出てきたところで、隣にある松坂屋の富士山を描いた絵画の常設展示場を軽く巡って、トイレへ寄り、地階へ降りて地下鉄に向かいました。