ガブリエル・ゼヴィン作「書店主フィクリーのものがたり」は本にまつわる哲学がふんだんに出てくる本好きな書店主の物語

この所、同じパターンで目が覚めます。

今朝も5時のまだ夜のうちに目覚め、次に妻に声を掛けられ慌てて、ゴミ袋を下げて、玄関のドアを開けます。

やはり寝過ごすと網の下にはゴミ袋がドッサリあります。

戻ってきて、大きな袋を下げてエントランスのドアを開けて出てくるマンションに住む奥さんと、すれ違いざま挨拶をします。

皆マスクをしているので、誰が誰やら分かりません。

戻ってくると、妻はもう起きていてリビングの窓を開けています。

私はまた2度寝をするのですが、もっと早く寝ろよと自分自身に言いたいところです。

今日の名古屋は、曇り所により晴れ、最低7度、最高15度、風速0.28m/s、湿度54%、まだまだ観音竹は外へ出しておけるかなとエントランスに放置したままですが、霜が降りたら枯れてしまいます。

妻は今日は友達とランチで、外出なので、また車からバッテリーを引き上げて充電です。

しかし再生品とは言えまだ購入したばかりですから、2時間あまりで満充電になります。

古いバッテリーは、不要バッテリー引取サービスを利用して、先日佐川急便が引き取っていきました。

ガブリエル・ゼヴィン作「書店主フィクリーのものがたり」をあともう少しで読み終わるところまできました。

妻がこの本を先に読んだのですが、感想を聞いたら少し首を傾げていました。

確かに本好きの主人公を描いた小説といった内容なので、本にまつわる哲学がポンポンと出てきます。

それに惑わされてしまうと、感想としてよく分からないということになるのかもしれません。

この小説は、不器用で偏屈ながら、本好きな書店主の男フィクリーの物語です。

アリス島にあるたった一軒の本屋を舞台に話が展開していきます。

この辺は映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と、ストーリは全く異なりますが、似た雰囲気を感じさせます。

物語は最愛の妻を交通事故で失い酒浸りの日々を送るフィクリーの書店へ、後日フィクリーの再婚相手となる、ある出版社の営業担当のアメリアが訪ねてくるところから始まります。

この最初の場面は、この物語の最後の場面と対になっています。

結局、アメリアは、フィクリーに散々嫌味を言われて退散してしまうのですが、後日フィクリーは自身を呪う羽目になります。

フィクリーが酔いつぶれた翌日、彼が所蔵していたエドガー・アラン・ポーの稀覯本『タマレーン』が盗まれ、その数日後、フィクリーの店の通路に置き去りにされた2歳の女の子を見つけます。

警察署の署長ランビアーズはフィクリーに向かって「おか品世の中だねえ?だれかがあんたの本を盗んでいき、だれかがあんたに子どもをおいていく」と言います。

女の子の名前はマヤで、ライトブラウンの巻き毛、目は青、褐色の肌の黒人と白人の混血で、とても愛らしい赤ん坊でした。

翌日、マヤの母親の溺死体が確認され、なぜかフィクリーはマヤを養女として育てる決心をします。

そしてマヤは本好きな賢い女の子に育っていきます。

数年後、フィクリーは、アメリアと再婚することになり、インド系のフィクリーと白人のアメリアのカップル、黒人の混血の子供マヤの3人はいっしょに暮らすようになります。

アメリカ社会における複雑な人種の交じり合いが何の違和感もなく、さり気ない筆勢で描かれています。

しかし、フィクリーは脳の悪性腫瘍に侵されていることが分かります。

かつて盗まれた「タマレーン」がフィクリーのかつての妻の姉のイズメイの元にあることが分かり、ランビアーズはフィクリーの手元へそっと戻します。

「タマレーン」は競売で、7万2千ドルで競り落とされフィクリーは手術と放射線治療を受けることになります。