久しぶりに直筆で書類を書いていたら手元が覚束ない

朝からまぶしいほどの日の光と青空がありました。

5時半のゴミ出しは、地上の方が風が吹いて涼しく感じられました。

まだ静かな街を、トラックが無遠慮な騒音残して、走り去っていきました。

一日は街の音によって目覚めるところから始まります。

今日の名古屋の天気は、晴れ、最低22℃、最高33℃、風速2m/s、65%、大晴れの空模様、妻が実家の老父母の様子を見に行きました。

久しぶりに、直筆で、書類の記入作業をしていたら、うまく書けなくて往生しました。

ミミズがのたくったような字をみると、これはいかんなと思い、ゆっくりペンを動かすようにします。

私は昔から筆圧が高いので、紙の下敷きが硬い面であったりすると、てきめんにペン先が滑って思うように文字を書けません。

ですから、文字を書くときは紙の裏に紙を数枚敷いているので、書き終わったあと紙面がボコボコして、紙をひっくり返すと紙面が随分とペン跡が深いです。

最近は筆先が細かく震えるようで、小さい文字を書くのが難儀になってきました。

昔は米粒のような文字を書くのが得意で、講習会のノートなどは細かい字でびっしり詰まっていました。

歳をとるというのは、残酷なもので、昔は難なくできたことが一つ一つ出来なくなることを思い知らされます。

手元が覚束なくて、文字を自由自在に書けなくなるというのは、若いころは歌うのが好きだったのに、ある日突然声が出なくなってもう以前のようには歌えなくなってしまうのとよく似ています。

しかし全く書けないわけではないので、歳をとると震えを目立たなくするために、文字が大きく、「はね」や「止め」が多くなるように感じます。

会社に勤めていたころ、昔は設計図面も手書きでしたので、文字や数字は、手書きの文字とは異なる

四角四面の特別な書体を使っていました。

今も書類で文字や数字を書くときに、当時図面で使っていた書体を使って書いてしまうことがあります。

銀行の振込用紙に、手書きで数字を入れると、窓口の女性に数字がきれいだと言われて、私は苦笑いです。

文字を書くには、自分の手で線を引くよりは、キーボードを叩く方が楽なので、益々パソコンに依存するようになります。

しかし今回のように、時々書類を書く必要がある時はありますので、手で書くことはけっこう疲れるもので、数枚の書類を書くことそのものが体力頼みとなってしまいます。