高齢者を支えるためには老々介護で共倒れにならないよう介護のしくみを上手く利用した方が良い

朝7時少し過ぎ、ゴミ出しのために起きると、灰色の空から、小雨が降っていました。

今日は、ゴミ袋の他にもう一つ出すものがありました。

先週、妻の実家から、不要になった3段の白いボックス棚でした。

よく若い夫婦の家庭や、保育園、幼稚園に見られる、片手で持ち上げられるくらい軽いボックス棚です。

正面からのぞくと、水色の鮮やかな青い空を思わせる裏板が見えて、心を軽くするのですが、その子供っぽさが老父母の持ち物らしくはありません。

暗い廊下のコーナーに新聞紙を敷いて、その上に鎮座している様は、もう長いことそこにあるかのようで、見慣れた日常の景色になりつつありました。

一番上に妻が貼った500円回収券を乗せて、じっと待っている静かな佇まいが今朝破られて、来た時と同じようにエレベータで運ばれて、時々ぱらつく雨の中、路上に引き出されました。

あとは市の回収車が引き取りにくるのを待つばかりです。

片手で持ち上げて運んでいると、黒いスーツのサラリーマン風の男と、親子なのか小学生の男の子が坂を下ってきてすれ違いました。

このボックス棚も誰かが引き取って再利用してくれれば良いのですが、それはノラ猫の引き取り手の出現を待つのと同じような確率かもしれません。

昼頃に、もう一度見に行ったら、ゴミ袋もボックス棚もきれいに無くなって、寂し気な通りの向こう側が見通せました。

妻の老父母ももう少し歳を取っていなかったら、ボックス棚など集合場所へ運べたでしょうけれど、エレベータが無いので、階段で転んで骨折でもしたら大変なことになります。

歳相応に自分以外の力を借りないと、安心安全な普通の生活を営んでいくことができません。

高齢になって、それに伴う不自由が増えると介護のことを考えなければいけません。

高齢の老父母を、ある程度面倒をみる家族がいても、その家族も60歳を超えていたら老々介護になってしまい、面倒をみる家族が共倒れしないとも限りません。

そうならないためにも、福祉制度の介護の仕組みを使って、少しでも家族の負担を軽減して、高齢の老父母を支えていく継続的な方法を考えなくてはいけません。